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紅愛

​交際におけるいくつかの節目。そういった時には、それ相応の言葉や贈り物があるらしい、確か。

​一応私も女だし、愛人を抱えたこともあったが、何せもう昔のことだ。それに、そういう縁も沢山あったわけじゃない。だからか、実感が薄いのだ。でも愛しい相手に何かを贈る、というのに悪い印象はない。むしろ好ましいものだ。だって、その想いはとっても素敵なものだから。

しかし、愛しいあの人と付き合い始めてどれくらい経っただろう。あまり意識していなかった分、いざ数えてみようとすると少し唸ってしまう。それだけの深さということだろうか、私も大概入れ込んでるなぁ。

”恋”を”愛”に。

男女間の場合、女から行くのはあまり宜しくなかった気がする。

そう結論づけ、ではかつての主たちはどうしていたかと、遠い記憶を手繰り寄せるように思い出してみる。

勿論、政略結婚はあった。時代が時代だ、言ってしまえば当たり前のこと。けれど、全てがすべて愛がなかったわけじゃない。婚礼の儀の後、夫婦となってから改めて伴侶に愛を誓う主だっていたし、大恋愛の末に結ばれた主だっていた。義幸の奴は前者だったなぁ。

そういったとき、九分九厘、男が女に結婚を申し込む、あるいは愛を誓っていた。

────うん成る程。これは私は行かないほうが良いやつだ。

やはりというか。同じ結論に行き着いたところで、このお題を頭の隅に置いておく。

かつての負い目を背負う私に、彼は永遠の愛を誓ってくれるのだろうか、なんて不安も一緒に。

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「エンズ、最近ニルスとはどうなんだ」

紆余曲折あり、現在私がお仕えする主・ルーシィ様が尋ねる。様子的には嬉しそうな、楽しそうな感じだが、意図は何だろうか。いや大体分かるけれど。

「どう、とは?」

「何か進展とか、イベントとかあったのかと思ってな」

はぁ、と一応返事をしつつ、最近そんな何かあったかなと思い返してみる。

ルーシィ様とゼビュ様のお茶会の手伝い。ダンスパーティーでのパートナー。ニスロクが遅くまで夜更かししてた時には、言霊で眠らせて運んだっけ。次の日に泣かれたけど。童女の姿だったのが駄目だったか。

時系列順ではないが、最近のことを一つずつ挙げていくのに比例するように、目の前の主は額に手を当て顔を渋くしていく。そんなにいけませんでしたか。

「そういうことじゃなくてだな……もっとこう、ないのか……?」

「そう言われましても……」

今挙げたこと以外で、特筆して何かあったとかはなかったと思う。勿論会ってはいるし、廊下で会ったときは話もする。けれど如何せん、お互いの役目が役目だ。そう長いこと話してもいられない。ルーシィ様の求める答え的に、普段の話は当てはまってないと思って除外はしたが。

首を傾げつつ主の方を見ると、未だ渋い顔をした主と、机の上には捺印済みの書類。多分このままいっても望まれる答えはお渡しできないだろう、そう結論付け、書類を手に取る。

「ルカ様の所で宜しかったでしょうか。捺印済ですし、持って行きます」

「あぁ、気を付けてな」

見送りの言葉に行って参りますと返し、翻る裾を感じつつ扉に手をかける。

部屋を出ていく瞬間、背後で発破かけた方がいいのかこれ……という呟きが聞こえた気がしたが、気のせいだったろう、うん。

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​コツコツと、歩く度に靴の音が廊下に響く。もともとの身長からヒールはそこまで高くないが、それでも絨毯と床を鳴らす程度にはあるらしい。昔は戦装束くらいでしか踵がある靴を履かなかったから、何だか新鮮な感じだ。そんなことを頭の片隅で考えながら、同時進行でこれからやるべき仕事と予定を確認しておく。此処の文字がまだ分からない私の仕事は主に書類や荷物の運搬だが、それもある程度の重要性はあるだろう。

さぁ、まだ仕事はある。そう歩を進めようとしたとき。

「エンズ様」

ふと、背後から引き留める声。顔を見なくても分かる、私の最愛だ。

「どうしたの?ニスロク」

​振り返ればほら、やっぱり私の愛しい人。彼を視界に入れただけで顔が綻ぶ、肩の力が抜けていくのだ。

私の前まで来たニスロクの顔、何だかいつもより強張ったというか、緊張しているような感じがするけど。気のせいか。

「エンズ様、これをあなたに受け取って頂きたいのです」

そう差し出されたのは、紐で封がされた細長い桐箱。手触りから、中身も上等なものだとわかる。

彼からの贈り物は野の花でも何だって嬉しいけれど、こんな高価そうな贈り物を送ってもらえるようなことがあっただろうか。思い当たる節は……特にない。

「ありがとう。なんだろう……中身、見てもいい?」

疑問はあるが、嬉しいことに変わりない。貰った側として、贈った側に開封の許可を求める。

依然として緊張したような面持ちのまま、ニスロクは首を縦に振る。それを確認し、ゆっくりと紐を解いた。

───あぁ、自分の目で見たものを、これまで疑ったことがあっただろうか。

「ニスロク、これ……」

頬、そして耳が赤く熱を持つのを嫌でも自覚する。

箱の中身は、白の簪。細かな装飾が美しい。しかし華美ではなく、慎ましい愛らしさを持つ髪飾り。

私はこの人に、簪を愛する人に贈る意味を教えたことはないはずだ。しかし実際、彼から私へとこれが贈られた。これは偶然だろうか。それとも、私が思ってしまっている意味でいいのだろうか。

頭の中を、まとまらない思考がぐるぐると回っている。浮いては沈み、現れては消え、それはどれも口から出すことはできず、私はただ口元に手を当てることしかできない。

何も言えず、しかし言うべき言葉さえ見つからない。彼の言葉その先を聞きたいが、期待してしまった分、ただ贈りたくて贈ったという事実に転じてしまうのは聞きたくない。我が儘とも言える矛盾が胸につかえ、さらにこの喉は動かなくなった。だとするなら、私は本当に弱くなってしまった。その原因は、まぎれもなく最愛のせい。憎みたくてもこれ以上憎めないのに。彼はどれだけ私を溺れさすのか。

お互いが沈黙しているため、私たちの間には静寂。とても静かだ。この心臓はうるさいのだけど。

いけない、お礼すらまだ言えてないじゃないか。何か言わなければ、口を開けた瞬間、それは私の耳を響かせる。

「……馴染みの装飾の方が使いやすいかと思って……!」

開けた口は、ただ息を呑んだだけ。

予想していた一つの答えに、浮き上がっていた心は、痛いくらいにすとんと落ち着いた。同時に目の奥が熱くなる感覚。目を開き、奥歯を噛み締めそれを殺す。

ここまで絆されていたのだと、冷える思考の波を受けて改めて思う。永遠の幸せを期待してしまうほどに、私はこの人を愛している。本当、恋とは厄介だ。強く在ろうとしても、知らず知らずに弱くなるのだから。

さぁ、ちゃんとお礼を言わないと。これは贈り物なのだから。浮かびそうになった涙は既に目に馴染んだ、なら言えるはず。

「そ、そっか。ありがとう、すごく嬉しいよ」

ちゃんと、普段通りに言えただろうか。ちゃんと、いつもの笑顔だっただろうか。

彼の名は大いなる鷲。耳が良いから、きっとバレてる。

「喜んでいただけて良かった。すいません、それでは……」

私の横を通り抜け、そのまま歩いていってしまった。

私と目を合わせなかった彼は、一体どんな顔をしていたのだろう。

もう一度、贈られたものをちゃんと見てみる。

白い簪。私の髪の紅に合わせて選んでくれたんだろう。

以前、本人から言われたことがある。あなたに白が良く映える、と。実際、白は赤に映え、赤は白に映えるから。

考え、悩み、選び、そうして贈ってくれたのかもしれない。いや、彼の性格的にきっとそう。

そう思うと、自然と胸の奥が温かくなる。

男性が女性に簪を贈る。

私がいた世界、生まれ故郷の国、在った時代では、それは求婚にあたる行為だ。

渡されたときからずっと、いつもとは少し違う雰囲気、表情をしていたからまさかとは思ったが。

私からこの意味を教えたことはないし、彼も恐らく知らない。知る機会だって十分にないのだから、当然のこと。

だから、これはそういうものではない。とてつもない確率で起こった、奇跡のようなプレゼントだ。

自分の中でそう完結させ、箱に収まる簪を手に取る。折角貰ったのだ、挿してみたい。

髪を結う主と揃いのリボンを解き、髪型を少し変えてそれを挿す。手元に鏡はないためどうなっているかは見えないが、頭を軽く振っても落ちてこないあたり、ちゃんと挿さっている。

優しいしゃらりとした音は、なんだか不思議と心が安らいだ。

「───『かくとだに えやは伊吹のさしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを』」

簪の音に乗せるように、今の私を表すであろう唄を口遊ぶ。いつかのバレンタインでも、この唄を添えたっけ。

彼の様子、贈られた簪、私が期待してしまったこと、色々なものが頭の中で整理される。落ち着いた頭と心に、それはまた私の中で火を付ける。心を締め付けるものではなく、恋の炎を燻らせるもの。

「全く、人の気も知らないで」

これは私の強がり。そして、この恋はまだ終わらないという想いの発露。

彼にその気はなくても、何だか私だけ振り回された気がしたから。今回はそれを甘んじて受けてあげよう。今度覚えてろ。

とりあえず簪は自室に置いておこう。汚す壊すはしたくない。足を一旦自室へと向かわせ、歩を進ませようとする。

「エンズ様!」

声が。

あの人の声がした。私を呼ぶ声。

その声に肩が上がり、つられて飾りはしゃらりと鳴る。

────どうして、戻ってきたの。

彼がまたここに来た理由が分からなくて。いいえ、理解してしまえば、彼に溺れて岸へと戻ることは永遠にできない。その一歩を踏み出さず、見苦しくも分からないフリをしているだけ。本当は、ちゃんと分かっている。

だって振り返った先には、覚悟を決めた、男の顔をした彼がいたから。分からないなんて言葉は、もはや逃げの一手にしかならない。彼に対しては、敵前逃亡は御免だ。

期待も、確信もしてもいいのだろうか。永遠の愛を誓う、その想いを。

あぁ、貴方以外を考えられない。息苦しささえ感じ始めた愛しさに、私の全てを持っていかれる。

私の全ては貴方に塗り替えられて、そして世界を止めるため、この瞬間は切り取られるのだ。

「どうしたの、ニスロク。

その顔はまるで熟れた林檎のようだわ。今にも甘い蜜の匂いが漂いそうなくらい」

私より少し目線の高い彼に合わせるように上を向く。桐箱をそっと胸に寄せ笑って見せれば、それだけで彼の顔は赤くなる。初心な人、そんなところも愛らしい。そんな風に余裕ぶろうとしている私の頬も、熱を増している。

甘い蜜の香りがする。息を吸えば、身体は甘い痺れに蝕まれていく。

「貴方に伝えたいことがあります」

彼が息を吸う。

その先の言葉を告げてくれるのなら、私はそれを一身に享受しよう。

「一目惚れだったんです。結婚してください、エンズ様。

俺は、貴方の隣に立ちたいのです」

心のどこかで待ち望んでいた誓い。過去の負い目から諦めていた言葉。愛しい人からの最愛と永遠を誓う想い。

夢であるなら、いっそ覚めないでくれと願うほどに幸せだ。

けれどこれは現実であると、頬を伝う涙が教えてくる。

あぁ、愛しき恵みの人。この世の命を体現した人。

この先の生は、貴方に捧げよう。貴方だから、貴方だけにあげたいのだ。

「───はい、ニスロク。私も、この先寄り添っていたいのは貴方だけです。

ずっと、隣にいさせてください」

- Happily Ever After -

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