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​悪役の世界救済法 

世界から畏れられ、忌み嫌われた。

何もしなくても悪とされ、かといってそう噂する奴ほど笑顔で近付いて。

もう拒絶することも面倒で、認めることも煩わしくて。

穏やかに暮らしたかっただけだ。時代が、家が、それを許さなかっただけだ。

ただ日々を消費していくだけの俺の目を。

優しい風が撫でたんだ。

                   ✾     ✾     ✾

『都一の呪術師』

『若くしてその実力は、一回り二回りも年の離れた呪術師や陰陽師をも唸らせ、帝からも一目置かれるほど』

『そして名立たる功績に彩りを添えるのは、類まれなる華のかんばせ』

『背筋が凍る美しさに魅せられ、微笑みを受けた者はその麗しさに、まさに骨を抜かれるそうな』

『天上の美。容姿実力共に、神々に愛されし存在に相違ない』

「しかし付きまとう噂は仄暗いものばかり……ってか」

呆れから、腹から押し出すように息を吐き出す。溜息じみた音に、俺の前に座った──厳密には床から少し浮いているが──式鬼が眉を顰めた。額に浮かび上がっている、俺との契約の証である六芒星も、つられてくしゃりと歪んだ。目尻から目の下へと藍で繋げた式鬼特有の目を細め、その奥からはどこか批判めいた眼差しを投げてきている。

「幸せが逃げますよ、あるじ様」

「そうかい」

​脇息にもたれ、俺の幸せを乱暴に心配した式鬼を目に映した。可憐な少女の体躯に、愛らしさの塊のようなかんばせ。豊かな長髪が、更にそれを際立たせている。外ではあまり見かけないはっきりとした色合いの袿を着たこの少女は、十人が十人称賛の言葉を並べる見目をしている。もし人間で、相応の家の出身であったのなら、かのなよ竹の姫君のように求婚する者が絶えなかっただろう。まぁこいつは人間ではないが。

神々の権能の一側面。いや、溢れた力の一部という形容の方が正しい。それが人の形をとり、自我をもち、式という存在を以て豊葦原に顕現できるようになったもの。そのような存在を、俺達の方では"式鬼"と呼ぶ。違うところでは"式神"と呼んでいるが、根本は同じだ。式としての力の在り方をどう見るか、どの側面を重視するかによる違いだけ。あとは契約の証である紋の形がちょっと違うくらいか。こっちは六芒星、向こうとかは五芒星。

「それで、一体何をお考えになられてたんです?どうでもよいものなら符に戻りますけど」

「お前割と容赦ないよな」

いかにも苦み強めのしょうがないなぁという表情。ただの無礼ならまだしも、こいつの場合、主従関係をきちんと理解してやっているから余計に質が悪い。俺もさして気にしないからこうなるんだろうが。

さて、言うのは構わないし簡単だが、正直その後が面倒だ。この式鬼、口や態度は塩だが愛は深い。しかもその愛が大海のように優しく深いものではなく、言ってしまえば大水が起きたときの川に近い。勢いも破壊力も傷付けんばかりに凄まじいのだ。とにかく強い。しかも、もし俺に何かあったときにこいつが危害を加えようとするのは、俺ではなく相手なのだ。いろいろと面倒になるからせめて俺にしてくれ、俺ならまだ何とかできる。

そんな叶わぬ願いを心に浮かべながら、さっきまで考えていたことを伝える腹を決めた。その後の反応は目に見えているが、どのくらいの規模になるかは言ってみないと分からない。

早く言えと書いてある顔を横目に、俺は重い口を開いた。

「いやな、俺の噂と一緒に付いて回るのは暗めのばっかりだろって。そう思っただけで」

「あ゛?」

​地雷だったらしい。

地の底から響く、少女の声とはあまりにもかけ離れたそれを皮切りに、式鬼の下からどす黒い何かが上がってくるのを見た。ゆらゆら。長い髪が蛇のように揺れている。そんな髪の間から見えた目はかっぴらかれ、一切の光を宿していない。これ、だめなやつでは。

「お、おいどうし」

「あるじ様」

「ハイ」

反射で返事をしてしまった。返事をして殺されるわけではないのだが、触らぬ神に祟りなしの言葉的にいけなかったような気もする。式鬼は神の力の一部だぞ、冗談にもならない。

この一室が吹き飛ぶ覚悟を決め、被害を最小限に抑えるための霊符を出したところで、ふっと目の前の重々しい黒が薄くなった。見れば、式鬼の雰囲気が戻っている。少し不機嫌そうな気はするが、それだけだ。髪は踊らず、目は閉じられ、式鬼の力が蠢く感じもない。さっきまでのとは比べ物にならないくらいに落ち着いている。一体どうしたのか。

「あるじ様」

静かな水の声が、俺を呼んだ。それは、この部屋の静寂に雫を落とし広がる。

「あるじ様は、何も悪いことなどしておりません。あなた様が気に病むことなど、何もないのです」

だから、どうか笑ってくれと、そう俺の式鬼は言う。

愛をたたえた微笑みを浮かべ、優しくも力強い言葉が俺へと送られる。

俺──蘆屋道満を持ち上げる噂に付いて回るもの。俺自身が仄暗いものといったもの。

端的に言ってしまえば、『蘆屋道満とは悪である』というもの。

語られる話は様々だ。都の陰陽は蘆屋家が、そしてその中でも最も優れた蘆屋道満が握っている。裏事情を把握し、その流れを牛耳っている。帝に近付き、いずれはこの国さえその手中に。など、この手の話には事欠かない。

こういう噂やそれに付いて回る話とは寿命は短く、長続きしないのが常だ。しかし、俺や周辺の話は、消えるどころか尾ひれが付いて更に回ったり、噂が独り歩きし始める始末。

それを助長させているのが、ほかでもない俺自身の容姿だ。

都人が口々に称える顔も、結局は大多数が悪と断じる忌事を助ける悪人面でしかない。顔立ちなど、俺にはどうしようも出来ない。いっそ焼いてしまおうかと思ったが、費用対効果の釣り合いは少しも取れない。それに、俺自身も親から貰った体を、自分から粗末にする気がない。詰まるところ、どうにかする策は何もないといったところだ。

式鬼との付き合いは長い。俺がまだ子供だった頃、契約に応じたのがこいつだった。もう十数年の付き合いだろうか。だから、まだ未熟だった俺が心無い大人の言葉に傷付いたことも、見た目だけで判断される理不尽に心抉られたことも、すべて知っている。俺の苦悩も全てを理解した上で、笑ってくれと言うのだ。何も悪いことをしていないのに、そんな人が下を向くのはおかしいと。そう語るのだ。

俺の優しい式鬼。きっとこの世全て、俺を害する全てを排するほどに、こいつの愛は深い。

それで俺の噂は止まらないし、俺を見る目は変わらない。解決に至るものではない。こういうところは世の残酷か。

「……あぁ、ありがとう。俺の式鬼」

それでも、俺を微笑ませる力が、こうしてあるのだから。

そんなもの要らないと、何も変える力はないと。一蹴することは、俺には出来ないのだ。

                   ✾     ✾     ✾

​春の初め。やっと寒さがなりを潜め始めた今日この頃。

「疲れた……」

うららかな風が吹き始めたのを肌で感じながら、ぐったりと勾欄に背を預け、簀子に座り込む。正直、今は一歩も動きたくない。

何でここまで疲れたかって?そんなの心当たりしかない。

宿直が丁度俺の番で、昨日から仕事場、もとい大内裏に詰めていた。宿直も仕事の一つだ。まぁそれは良い。

だが、頂けないのがこの先。朝を迎え、他の宿直が帰り始めたのを横目にさぁ俺も帰るかと準備をしていたところ、同僚が青い顔で袖を引いてきた。

同僚が出してきたのは一枚の紙。ただのペラ一枚だったら良かったとあの時ほど思ったことはない。

そこからが地獄だった。他の寮に回さなければならない、かつ期限が直前まで迫っていた書類だったらしく、同僚と必死になって取り掛かる羽目になった。

それは無事完成したのだが、よし帰ろうと再度支度を始めた矢先に、他の寮から同じような書類が届いた。

思わず青筋が浮かびそうになるのを笑顔で押し込め、同僚と共に涙を呑んだ。

そんなことを朝からずっと。さっきやっと終わったのだ。

仕事中は終始、早く帰りたい、早く寝たい気持ちでいっぱいだったが、いざ終わったとなると疲労感から動きたくなくなった。心は既に自邸にいる。

「そろそろ動こう……」

今は人気はないとはいえ、いつ人が通ってもおかしくない。あまりよく思われていない連中が通るかもしれないことを考えると、いつまでも無様に座り込んでいるわけにもいかない。

昨日より重い体を動かし、背を預けていた勾欄から離れる。それでも疲れが勝っているらしく、立ち上がってもその場から離れることなく、振り返るように体を回した。

​外の景色が、昨日と変わらずそこにあった。疲れからだろうか、日は優しいのに何故だか眩しく感じて、思わず目を細めた。桃と桜の間の時期。確か啓蟄を迎え、菜虫化蝶(なむしちょうとなる)辺りだった気がする。駄目だ、日付すら思い出せない、もう頭が回らん。

自邸までとりあえず頑張ろう、そんな気持ちを満たすように胸いっぱいに春を吸い込む。

今の自分はボロ布同然だが、世間は春爛漫一歩手前。せいぜいそれに置いて行かれないように、さっさと戻って休むとしよう。

外に背を向ける。帰り支度はほとんど終わっている。最低限の荷物だけ持って引っ込むとしよう。

それを阻むように、強く強く風が吹いた。しかし目を瞑る必要のないほど、包み込むような柔らかい風。

振り返り、もう一度外を見る。景色を楽しむのではなく、何かを探すように。

「さっきの風。あの霊気の濃さは」

普通の気象ではない。ただの風に、俺達陰陽師の類が術で使う霊気は過剰に含まれない。ならば、それは人為的なもの。普通に考えれば、五行の木に属する風の術が妥当する。

ここは大内裏。敷地内には、帝がおわす内裏もある。幸いここは内裏から離れているが、良くない輩に術が使われたと仮定するなら、さっきの風を見過ごすわけにはいかない。他の貴族みたく大層な忠誠心はないが、これでも陽元(ひげん)の人間。帝への畏敬は勿論、陰陽師の家系の誇りもある。神の器宿すこの地に、国に仇なす不届き者を招き入れたとなれば、後々それは面倒なことになる。俺としては激しく避けたい。
いつ、何が、誰が仕掛けてきてもいいように、式鬼の符を顕現させる。そして、攻撃規模の小さい術符を数枚。細く息を吐き、精神を研ぐ。先手は難しくとも、相手が何を出しても対応できるようなものを。

しかし張った精神の中で引っ掛かったのは、あの風の穏やかさ。

もし敵のような存在で、帝や貴族に対し危害を加えようとするための術ならば、もっと身を刺すような霊気になってもおかしくない。なのに、あの風はそんなもの一片も感じなかった。敵意とは真逆な感情とも言い切れてしまうほどに。

──いやそもそも、術といえるようなはっきりした霊気だったか?

「────いた」

視界の端に、一人。一般人と纏う雰囲気が違う。俺と同じ、陰陽師や呪術師のそれと同じ。

服からして男か。遠目からには若そうだが、どこか老練としたものも感じられる。不思議な男。

ゆったりとした足取りで歩いているのを見ると、雰囲気もあいまってただの散歩してる爺さんにしか見えない。

なんだろうか。なんというか、さっきまでの俺の警戒態勢は無駄骨だったと感じ始めた。

これでも職業柄、敵意悪意殺意その他諸々は受けているが、あの男からその類は全く読み取れない。むしろ花が舞うようなほのぼのさだ。くそ、ただの散歩野郎か。

「帰るか」

肩透かしを食らった。一瞬とはいえ気を張ったせいか、忘れかけていた疲れが追加されてどっと押し寄せる。もう限界だ、眠気さえ襲ってきた。

更に疲れた体を鞭打ち、今度こそ帰ろうと部屋の方に歩を進める。

──また、強く風が吹いた。

「もし、そこの方」

勾欄の向こう側。俺の背を挟み、声がした。男の声だ。

声は真っ直ぐに俺へと向かっているのだろう。周囲に俺以外はいないし、声が左右にブレていない。

多少の警戒と、ほんの一匙の諦めを溜息に乗せながら、声の主へと振り返る。

「あぁ良かった。気付いてくださって」

穏やかに微笑む男がそこにいた。まるで春に咲く花のように、ほっと息をつかせるように笑んでいた。

日に照らされた薄茶の髪に、淡い色合いの狩衣。細められた目は何の色かは分からないが、なんとなく髪や服と同じく薄めのいろな気がする。

「何でしょうか。あまり、ここではお見かけしたことない方かと思いますが」

「はは、そうですね。最近は来るようになりましたが、元々大内裏にはあまり足を踏み入れませんし。あなたともお会いしたことはありませんね」

男は相変わらずふわふわと笑う。言い分的に、つまり初対面か。俺としても、ここまで能天気というか、緊張感のない奴は知り合いにはいない。それに大内裏にあまり来ない、か。となると、陰陽師でも家で活動する類か。俺の顔と名前を知らないのを含め、それなら納得できる。

細められていた目が戻る。はっきりと開いたその瞳は、俺の予想を大きく外した、深い紫紺。見透かすような、底が見えないような、そんな色の目。しかしその色に乗る感情は、まるで子供のように無垢にみえた。最初に感じた雰囲気といい、何だかあべこべな奴だ。そんな第一印象。

「それで、何か御用でしょうか?御用でなければ、宿直終わりなので帰らねばならず」

「あぁ、すみません。いえ、少し気になっただけで」

「気になった?」

俺の疑問に笑顔で返した男は、掌を空に、指先はこちらに向けた、親が子を抱き締めるために腕を広げるように、俺へと両腕を伸ばした。何故急に相手がそうしたのか。眉を少し顰めたところで、強い風が俺を包んだ。

間違いなく、あの風だ。

「は──」

まさか、敵だったか。そんな考えがよぎったが、風越しに見えた男の表情があまりにも穏やかで。

いっそ慈しみさえ含んだような、親の愛とも違う深い感情をたたえた微笑み。包む風は相変わらず優しい。一体何だというのか。

疑問に疑問が重なったところで、あ、と俺の口から声が漏れた。体が軽い。あれほど疲れに蝕まれていた体が、確かに軽くなっているのだ。頭を支配していた重みも、体のそこかしこの怠さも、風が攫ってなくなっていく。

これは、なんだ。

「遠目でしたが、とてもお疲れのように見えたので。少しでも楽になりますよう」

「あ、りがとう、ございます」

風が消えた頃合いに、男はそう笑顔でのたまった。一応礼を返すが、目の前の陰陽師がやったことが依然として理解できない。術なのか否かもそうだが、俺にこうまでする意図も分からない。

混乱する頭を認めつつ、幾分冴えた目で男を見る。

──あぁ、そういうことか。

俺に風を纏わせ癒した意図は分からないままだが、何故それが出来たかは理解した。

(神気に────いや、霊気に愛されているのか)

霊気とは、神気から分かたれた大いなる流れ。人は森羅万象を巡るそれを借り、術を行使する。

陰陽師や呪術師の家は、まず霊気の流れを見る訓練をする。大気に存在する濃さ、全体としての量、それらを見極めて初めて術を使えるようになる。自分にとって有利な状況にするため、霊気の流れを読み、地を這う霊脈を辿る。勿論術にもよるが、霊気が濃ければ威力や効果が上がることが多々ある。濃い霊気とは、それだけ結果を左右するものだ。だからこそ、最初の訓練は視ることだ。

解れた目だからこそ視えた。

男を包む霊気の流れ、まさに『愛されている』と形容できるほどに濃く、守るように漂っている。

ならばこの男、ただの陰陽師ではない。霊気の濃さで言えば、神代が色濃く残る土地や、人がいない自然の奥地並みだ。正直、人の多いこの辺りでこの霊気量はあり得ない。場違いにもほどがある。豊穣と旱魃くらいの差だぞ。

霊気に愛された男。その霊気を多く含ませた、いやもう霊気丸ごと風にしたくらいだったな。それを俺に向けて、削られた気力を回復させた、あたりだろうか。治癒術の応用、規格外の量だからできたことか。俺の専門分野ではないし、普通ではない要素がそこそこにある以上推測の域を出ないが。

ここまでの素質を持った陰陽師を、俺は何故知らなかった。霊気に愛された人間、それだけで噂になってもおかしくない。陰陽師ならば尚更だ。蘆屋家の規模的に情報網は広いが、それにすら引っ掛からなかった。実家で見たことがない以上、蘆屋の血ではない。他の家の訳ありってとこか、究極の秘蔵っ子か。

だが、最近大内裏に出て来たと言っていた。となれば、これから人の目に映ることになる。噂にもなるだろう。

情報は早めに掴まなければ。俺個人の、家全体の脅威になる前に。結果として、それが蘆屋家の益にもなるだろう。

「ありがとうございました。おかげで、幾分身体が楽になりました。

私は蘆屋道満と申します。宜しければ、貴方のお名前をお伺いしたいのですが」

俺の打算交じりの問いかけと裏腹に、目の前の男は、心からの嬉しさを笑みに込めた。

あまりに眩しい。世の澱みも歪みも知らないような、痛いほどの純粋。

​その男が、滲む親愛を隠さず語る。

「安倍晴明と申します。どうぞ宜しく、蘆屋殿」

それが、我が生涯の友との出逢いだった。

- ​Ⅱに続く -

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